メッセージ

遠き国や

揺るがぬ希望

 この詞は、関東大震災で被災した中で書かれたものです。困難な状況でも変わらぬ希望を持つ様子が表され、今も聖歌の一曲として歌い継がれています。 どんな状況でも希望を持つことは難しいことかもしれません。なぜなら、人生には良いことばかりなく、苦しく困難で、絶望の淵に立たされることもあるからです。 しかし、揺るがぬ希望は確かに存在します。皆様はどんな状況でも揺るがない本当の希望をご自身のものとされているでしょうか。

ある宣教師の話

 画像に載っている詞は、アメリカから来たジェイムズ・V・マーティン宣教師が作詞したものです。彼は、一九〇〇年に来日し、一度帰国しましたが、一九一四年に再来日し、青山学院に在籍した宣教師でした。 彼は、一九二三年に関東大震災で被災しました。彼の在籍していた青山学院の校内にも多くの避難者がやってきていました。しかし、校舎の大部分が地震によって崩壊し、避難できたのはなんとか残っていた体操場だけでした。震災当日の夜、人々はその場で一本のろうそくの光を頼りに肩を寄せ合い、度重なる余震に怯えながら一夜を過ごしたそうです。 彼もまた、母国から遠い日本の地で被災し、学院の体操場に身を寄せた一人でした。街は、地震により崩壊し、津波により水があふれ、あちこちで起こる火災で壊滅し、まさに死が手を広げ待っているような状況です。しかし、それでも揺るがない希望があり、それこそイエス・キリストの十字架である、と彼は書いたのでした。

変わらないもの

 皆様はいつも何を希望として生きておられるでしょうか。人生を豊かに生きることでしょうか。金持ちになることでしょうか。それとも、人々から認められ、栄誉にあずかることでしょうか。また、長年の夢を叶えることかもしれません。 しかし、それらに共通して言えるのは、いつかは失われてしまうということです。人は頼りにしていたものを失う時に、希望を失うのです。そして、死を迎える時には、何一つ持って行くことはできません。この世界にあるものはいつかは失われてしまうものです。 聖書はこのように語っています。

「人はみな草のよう。その栄えはみな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは永遠に立つ」とあるからです。これが、あなたがたに福音として宣べ伝えられたことばです。

(第一ペテロ 一:二四、二五)

草花のように、人の栄えも儚いものです。しかし、永遠に揺るがぬものこそ、主のことばであり、福音なのだと神は語っておられます。

罪の裁き

多くの人は、この世界に永遠の希望があると考え、自分の欲望を追い求めて生きています。しかし、聖書を通して、神はその生き方が罪であると語っておられます。

この罪とは無法(神の支配を拒むこと)のことです。

(第一ヨハネ 三:四)

  神は、義なるお方です。それゆえ、罪に対して大きな怒りを抱いておられます。その罪を必ずさばかれます。

そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている

(ヘブル 九:二七)

そのさばきこそ、死後の火と硫黄の燃える池である地獄です。この地獄に入るなら、永遠に火の中で苦しみを受け続けることになります。あなたにも罪があるならこの地獄でさばきを受けなくてはいけません。

永遠の希望

 神は人間を愛しておられます。ですから、人間に救いの道を与えてくださいました。それがイエス・キリストの十字架です。イエス・キリストは今から約二千年前にこの地上にお生まれになりました。そして、その生涯の最後に十字架に架かり、命を捨ててくださいました。それは、全人類の罪の刑罰を身代わりに受けるためでした。キリストは死なれた後、墓に葬られ、三日目の朝に復活されました。そして、ご自身が真の神であり、救い主であることを明確に示してくださったのです。そして、あなたがイエス・キリストを本当の神であり、地獄からの救い主として信じるなら、すべての罪が赦され、天国へと救われるのです。 この救いは、何があっても揺らぐことも失われることもありません。死さえも越える永遠の希望が、この救いにあるのです。

それは、信じる者がみな、人の子(イエス・キリスト)にあって永遠のいのちを持つためです。

(ヨハネ 三:一五)

どうか、ご自分の罪を神の前で認めて、イエス・キリストを信じ、本当の希望となる救いを受け取る方であってください。

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