どうせ死ぬのに意味なんて

耳をふさぐ男性

ティーンズメールというコーナーが、全国大手新聞A紙にありました。以前「どうせ死ぬのに意味なんて」という題で、神奈川県の高校3年生の相談が載っていました。

『生きる意味なんてないと思う。人間は死ぬために生きているんだと思う。そもそも生まれてこなければ死ぬこともないし、うれしいこともないけどつらいこともない。明日死ぬかどうかも分からないのに“生きる”ことなんて意味ないと思う。でもどうせ死ぬならいろいろ楽しいことをしておきたい。だからといってそのために生きていたいとは思わない。たのしいことがあってもいやなことが同じくらいあるだろうし。早く死んだ方が楽だと思う。こんなことを言うと怒られるけど思ってしまうのだから仕方がない。私は自分のことが好きだし、特にたいした悩みもない。ただ格別生きていたいとは思わない。』

回答者は、Dというミュージシャンで、有名な人のようです。彼は、「君の悩みは正しすぎる。少しでも考える人は、だれもが君と同じ疑問を感じたはずです。・・・答えは、わかりません。生きて生きてみなければ生きる意味などわからないと思います。」と答えていました。

何のためにということをはっきり知らないで、前に進むことは非常に困難なことです。「なぜ?」という問いに対して、「分からない。やるしかない。」

どうして私達は、答えをもっていないのでしょう。

それは、死という問題に対して解決を持っていないからです。人生のゴールは死です。ゴールが何かを知らずして、何をすべきかの答えを得られるはずがありません。

さて、あなたは死に対する備えをしておられるでしょうか。死に対して備えるとは、墓や戒名、葬儀の準備をすることではありません。本当の備えは、自分の死後の行き先を真剣に考えることであり、真実なる希望をもって生きる備えをすることです。

人にとって死ぬということは非常に重大な問題であり、そしてそれはあなたにとっても最も大きな問題であることを認めてください。もし今日死ぬならば、国際問題も、国の問題も、家庭問題も全て問題ではなくなります。今、自分が死ぬことが唯一の問題です。そしてそれは死に直面してから解決しようとしてもその時間がないかも知れません。今解決して置くならば、あなたは喜びと希望と平安をもって生きることができるのです。

死後の世界があると思う人も、そう思わない人も、あなたも含めて全ての人がすでにある種の前提に基づいて生きています。それは、天地の創造主である神が存在するという前提か、それとも存在しないという前提のどちらかです。

天地の創造主である神が存在しないというためには、宇宙には設計者がいなかった、全ての秩序は偶然に出現し、動物も植物も全て偶然の産物であり、人間も偶然に、設計者なしに勝手に出来たと言わなければなりません。私達は、秩序のあるところには設計者がいることを知っています。私達が数学や物理を学ぶ目的の一つは、秩序だった考えを身につけるためです。秩序のない文章は、他人に理解してもらえませんし、秩序のない工業製品など存在しません。創造者なる神が存在しないという考えは、科学的でもなければ理性的でもありません。あえて言えば、人間の欲望が造り出した根拠のない空想に過ぎないのです。

哲学者ニーチェは無神論に根拠を置いた進化論に基づいて次のように考えました。「地球の大きさは変わらないのに、人口はどんどん増加して行く。将来必ず食料が不足し、食料の争奪戦が始まる。人間は下等な動物から生存競争を戦って、弱いものを殺して勝ち残って人間にまで進化した。だから、これからも生存競争を戦って弱いものを殺して強いものが生き残って行かなければならない。世界は強い者のためにある。弱い者は滅ぼされて当然である。それが人類の進歩のためになる。」

この思想を信じたのがヒットラーです。そして戦前の日本の軍部、教育者、経済人もこの思想を受け入れました。現在でもこの思想から完全に脱却できていません。そればかりか復活しそうな気配さえ感じられます。この思想がどれほどの罪悪を生み出したか、この思想教育を受けた日本の兵隊がどれほど酷い非人道的行為を外国で、また同じ日本国の沖縄で行ったかは否定できません。この思想は心を破壊し、理性を狂わせ、良心を麻痺させ、人間を狂わせます。

この思想の根底にあるのは無神論、すなわち天と地には創造主である神は存在しないという考えです。この無神論の必然的到着点はこのニーチェの思想でしかないのです。「いやそうではない、他にもある。」と言う人もありますが、それはその結論に至りたくないだけのことです。その恐ろしい結論に至りたくないならば、無神論を捨てなければなりません。それが唯一の方法です。

神はあなたの創造主であられ、あなたを愛しておられます。神はあなたを神の子にし、永遠の神と生きるいのちを与えたいと求めておられます。しかしまず、神のあなたへの次の警告を聞いてください。

人間には一度死ぬことと、死後にさばきを受けることが定まっている。ヘブル人への手紙9章27節

なぜでしょうか。それは私たちが全て、神に対して罪を行ってきたからです。罪とは、この天地万物を造られた真の神様に逆らうことであり、神を神と認めないことです。うそ、憎しみ、争い、好色、不品行、敵意、盗み、等々はみな罪です。そして神は私達の心の中までも見通されます。全ての者は神の前に罪人です。あなたの良心に聞いてください。ご自分が罪人であることを認めないわけにはいかないでしょう。私たちは全て神から迷いだし、自分勝手な道を選び、罪の道を歩んできたのです。その最後は死であり、死後、罪のさばきを受けなければならない運命に自分自身を落とし込んでしまっているのです。すなわち死後、永遠に地獄の中でさばきを受け、苦しむべきなのです。これは本当に恐るべきことです。これをただ単なる脅かしだ、などと言って、この神の警告を決して無視しないでください。私たちクリスチャンは心より皆様にお願いします。ぜひ、この神の警告をお聞きください。

神は私たちを愛する大きな愛のゆえに、ご自分の御子を人類の中にお遣わしになりました。この神の御子こそ主イエス・キリストです。主イエス・キリストは私たちの罪を負って、十字架の上で死んでくださいました。さらに主イエス・キリストは死んで後、三日目に体をもって復活され、永遠に死の力を打ち破ってくださったのです。そしてその四〇日後、その体をもって天にいます御父の元に帰られました。主イエス・キリストは十字架の上であなたの罪を全て負って、罪の代価をご自分のいのちをもって払ってくださったのです。あなたの身代わりとなって罪のさばきを受けて下さいました。それはあなたが、主イエス・キリストを救い主として信じ受け入れたとき、あなたがもはや地獄に行くことがなく、罪の赦しを得、神の子どもとされて永遠に神と共に生きるようにされるためでした。

次の聖書の中に記されている主イエス御自身の言葉を読んでください。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」ヨハネの福音書3章16節

あなたを愛しておられる神があなたに求めておられることは、この神の御子イエス・キリストを信じ、あなたの心に救い主として受け入れることです。

主イエス・キリストこそ私たちの死後の問題を完全に解決することができる、唯一の真の救い主です。神は主イエス・キリストを信じ、心に受け入れる人に、新しいいのちを与えてくださいます。また冒頭の高校生の悩みの解決はここにあるのです。できるこの地上においても、あなたはこの新しいいのちによって、新しい喜びと希望をもって、永遠の天国に向かって新しい人生を歩むことができるのです。