耳をふさぐ男性

人はいつ罪人になるのでしょうか。それは、ただ一つの罪を犯した時です。一人でも人を殺せば、そのあと模範的な市民生活を10年送ろうが、その人は人殺しです。また、ある人が万引きをすれば、その人がそれ以降、正規の値段で商品を購入し続けていようと、万引きが明らかになれば窃盗罪で捕まります。一つの罪がその人を犯罪者にするのです。一つの罪がその人を罪人にするのです。

ここで、私は皆さまの犯した罪は、造り主である神の御前に明らかであるということを申し上げたいのです。「天を創造した方、すなわち神」のご存在また偉大な権威と力をはっきりと聖書は主張しています。寺や神社にある木や石の像は、神や仏と呼ばれていますが、人間が作った偶像に過ぎません。人間を救うことも裁くことも出来ません。「すべての人は罪を犯したので、神の栄誉に達しない」のです。

良い人柄は救いには役に立たない

時々、私の祖父は偶像を拝んでいたけれども良い人だった。なぜ裁かれる必要があるのだろうかと言う人もあり、また、私は学校時代も委員長もやったし、今も社内や親戚の間で人望もあるのだ、少し罪を犯したぐらいでなぜ裁きを受けて地獄に行かなくてはならないのだと考える人もいます。しかし、法廷において問題となるのは、その人が罪を犯したかどうかであって、その人の人柄が良いかどうかではありません。神は罪を裁こうとしておられるのです。皆さまが、ご自分の罪が裁かれることを認めようとしないで、人柄の良いこの私をさばく神が悪いのだという態度を神に対してとり続けるならば、絶対者である神は皆さまの罪を正しくお裁きになります。

偶像に手を合わせる

人は生まれながらの罪人

また渋柿を実らせる柿の木は、渋柿を実らせて渋柿の木になったのでしょうか。仮に今年、渋柿の実を全部もいでしまえば来年は甘い実を実らせるでしょうか。いいえ、木が渋いので実も渋いのです。渋柿は、その木の性質を明らかにしたに過ぎません。人が罪を犯して罪人になるのではありません。人はアダムのゆえに罪人として生まれてくるのです。そして実際に罪を犯して裁きを受けるべき罪人であることを確証していくのです。

必ず受けなくてはならない罪の赦し

ですから、私は皆さまに罪の赦しが必要であるとお伝えしたいのです。そして、皆さまの罪の赦しは、主イエス様を自分自身の救い主として神として受け入れるかどうかにかかっているのです。

ですから、兄弟たち。あなたがたに罪の赦しが宣べられているのはこの方によるということを、よく知っておいてください。使徒の働き13章38節

と書かれている通りです。

神は皆さまの罪に対する裁きを、主イエス様の上に置かれ、十字架において裁かれました。主イエス様は、罪人の身代わりとして受けるべき裁きをすべて受けて死んで下さいました。さらに、神は、皆さまの罪のさばきが完了したことを明らかに示すために、主イエス様を、死者の中から三日目によみがえらせました。ここに完成した救いがあるのです。神は、皆さまを大きな恵みをもって救おうとしておられます。神は、誰にであっても主イエス様を信じる者に、罪の赦しすなわち地獄からの救いと、神の子どもとされて神のおられる天国に行く特権をお与えになるのです。

十字架
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。ヨハネの福音書 3章16節